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1983年の故郷の裏山と炭砿病院

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小中学生のころ親友たちと遊んだ裏山です

この故郷を離れて18年後に来てみたので
見上げる弟も感慨深げでした

冬になると画面中央あたりの位置にジャンプ台を作って遊びました

この山の斜面が我々のホームゲレンデだったのです

上から滑り降りてきて 手前の川を飛び越えるなんてこともやりましたが
弟がジャンプに失敗して川に飛び込むこともありました

この写真を撮ったころからさらに15年ほど前には
画面右側の山体が頂上から山崩れを起こして
その川をふさぐという事故もありました

炭鉱住宅一棟が滑り落ちる土砂にじわじわと埋まる様子を見ていました
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この写真の右端の一棟が土砂にのみこまれたのです

このパネルは2010年に
三笠市立博物館の特別展示で見かけたものです

裏山の右手画面外の八合目付近から撮ったものらしいです

パネルの右上の方に鉄筋アパート
左上の方に炭砿病院が確認できます

新栄町という名前が見えますが 俗に病院下とも言われたものです

1983年にはすでに廃院になった炭砿病院の正面入り口は
下の写真のように残っていました

北海道炭鉱汽船株式会社のマークが見えます
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子供のころは山で遊んでウルシかぶれになっては
この病院でチンク油という白い消炎剤を塗ってもらったものです

それと当時よく流行ったトラホーム(トラコーマ)の治療もここで
マブタをひっくり返してガラス棒に着けた抗生物質を塗ってもらいました

弟や親友たちとの思い出が次から次へとよみがえってきます
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by zuoteng_jin | 2018-10-13 17:41 | Leitz Minolta CL | Comments(0)

1983年の炭住周辺と55年前の弟と親友たち

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炭住街区には1棟だけ鉄筋コンクリートの住宅がありました

この周辺は我々の遊び場でした
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鉄筋アパートの裏で撮ってもらった55年前の写真です

またのぞきのバカな格好をしているのが私で
下から二番目が小6の弟で ほかの三人が
昨日今日と弟の葬儀に参列してくれた中学生の親友です

本当の家族葬でしたから 親友三人の参列はありがたかったと
一段落した義妹から電話がありました

一番下にいる親友の家は鉄筋アパートの右階段右の1階
上から二番目の親友の家は右階段左の3階がそれです

どちらの家にも我が家のようにしょっちゅう泊めてもらったものです
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上は4年前に札幌の我が家に集まった親友たちです

一番左の友人は(昔の一番下)
鮮魚中心にスーパーのコンサルタント会社を経営して
その関連で中国の養殖の視察に来て 北京で会ったこともあります

左二番目は(昔の上から二番目)
大学には行っていないのですが
東証一部上場企業の社長会長を歴任しました

二部上場へのトライから一部上場に至るまでの牽引車だった由です

右端は(昔の一番上)東京で職人たった一人の寿司店を営んで
鈴木大地・沢木耕太郎・久石譲・ハービー山口といったお客さんに愛されています
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その鉄筋アパートの前から見えたのは 炭鉱が経営する病院の裏手でした

65年にもなろうとする交友にとって
上の光景は大切な心の風景と言って良いかもしれません
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by zuoteng_jin | 2018-10-12 17:59 | Leitz Minolta CL | Comments(0)

1983年に弟と訪れた故郷の炭鉱住宅

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1950年ごろ我が家はもっと山奥の炭住長屋からここに引っ越しました

弟はここで生まれたはずです

それ以前の住宅は「幸せの黄色いハンカチ」に出てくるような長屋でした

私が高校3年 弟が高校1年の春まで
ほぼ15年間をここで暮らしたのです

八畳一間 六畳一間 四畳半一間 それに二畳ほどの台所がありました

祖母と両親と姉二人と我々兄弟の七人家族でした

1983年 私が35歳 弟が33歳の8月に
二人でここを訪問してみたのです

上の写真に見えるようにまだ鉱員の家族が住んでいました

中学校は廃校になっていましたが
建物はまだあり 思い出深い体育館もありました
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こんなネガが出てきたのは 今回の地震被害の復旧作業で
古い写真やネガを整理している過程で見つけたからです

期せずしていま通夜式の最中の弟も写っています

亡くなってみれば これがほぼ人生の折り返し点でした
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私は残念ながら葬儀には参列できませんが
ともにこの中学校で過ごした親友三人が出てくれています

明日はその親友たちの住居跡や一緒に遊んだあたりを投稿します
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by zuoteng_jin | 2018-10-11 17:49 | Leitz Minolta CL | Comments(0)