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電気通信大学と1964年東京五輪マラソンコース

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2008年の撮影で退勤途中でした

国道20号線甲州街道の信号待ちで撮ったものですが
撮影位置は下の地図の小さい赤矢印です
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ここから信号二つ先の下石原交差点で左折して
多摩川を渡り 南武線矢野口駅をかすめて
多摩市に向かいました

甲州街道は1964年東京五輪のマラソンコースで
下石原をもう少し西に走って
調布インターのちょっと西辺りが折り返し点でした
(正確には20号線が画面上端で途切れるあたり)

交差点のそば 青い矢印の先に国立大学の教員宿舎があり
私の恩師の皆さんはここから声援を送ったそうです

漢辞海の監修をなさった戸川芳郎先生がこの宿舎の住人で
その部屋に中国音韻学の平山久雄先生その他
当時30代前半の俊秀たちが集まったのだといいます

私の通勤したころは まだ4階建ての教員宿舎があって
通るたびに こりゃぁ特等席だなと思いながら通過しました

その後 宿舎は取り壊され
宿舎の敷地は電気通信大学の校舎に代わっているようです

かつての東京五輪はそういうようなエピソードを生みつつ
その後の東京に好インフラを残して終わりました

今回の東京五輪は これにこだわったがために
明らかにコロナ対策が遅れました

延長のために負担額が巨額になるとIOCから告げられたそうですから
この際あっさりと中止してしまうのが望ましいと愚考します
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Minolta HI-MATIC E(1971年製)
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by zuoteng_jin | 2020-04-14 17:53 | Minolta HIMATIC E | Comments(0)
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