弟が息を引き取りました

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昨年夏から闘病していた弟が亡くなりました

今朝7時20分 眠るように息を引き取ったということです

ボカしをかけた写真はちょうど二週間前
放送大学の仕事の翌日に見舞ったときのものです

緩和ケアで痛みが無かったので しばらく歓談が出来ました

学生時代 弟とは東京の狭い四畳半で暮らしました

ともに四年生の1971年11月初めのある日
四畳半の窓から見える秋空が東京には珍しいほどの青空でした

ふと 弟に「おい今いくら持ってる?」と聞いて二人分を合わせてみると
何とか北海道往復の列車代が出せるがものは ありました

そのまま二人でアパートを出て北海道行きの急行列車に乗ったのです

私たちは故郷の秋を堪能して 一週間後に私一人は東京に帰り
弟は北海道で就職を探すといって残りました

私が東京に戻って一週間後 横浜の叔母から大学に電話があって
父が交通事故で即死したという連絡を受けました

その時の北海道行は まるで生前の父に会いに行ったようなものでした

父の事故の時には弟が母のそばにいたのが心強かったです

その年の年末は弟と二人で交通事故の損害賠償手続きをしっかりやりました

50年近く前のしがない労働者の賠償金はたかが知れていますが
当時の北海道の相場をこえる金額が出ました

保険会社の札幌支店は
「学生の兄弟だけで完璧な書類を出してくれて感動した」
という理由で100万円を支店の裁量で上積みしてくれました

それをもとに母の生活の見通しを立て
私は大学院に進学し 弟はアルバイトをしながら新聞の求人広告で見た
ショーボンド建設という道路工事の会社に就職しました

最初は北海道の山の中で現場監督をやっていましたが
10年も経つと東北北海道を統括する支店長になり
そのエリヤに関する限り95%は自分の営業活動の成果だと豪語していました

1987年初めにショーボンドは東証二部に上場しましたが
その少しあと1989年の春に東京本社に呼ばれました

その時は私も関東圏の大学に変わって富山から転居しました

二人で前もって 多摩ニュータウンの近いところで暮らそうやと相談して
弟も仮契約までしたのでしたが 本社の幹部は東武線に多く住むので
その沿線でなくてはまかりならぬということで
近所に住まいするというのは実現しませんでした

1989年の末までにはショーボンド建設は東証一部上場を実現します

弟は一部上場にはヤクザが必要だということで呼ばれた由です

東証一部上場は弟が営業部長としてなした功績でした

その後まもなく 弟は常務取締役に着任します

北海道の炭鉱町に生まれて 決して一流とは言えない大学を出て
東証一部上場企業の取締役まで勤めた経歴は
堂々たる68年の人生だったと私も誇りに思います

その人生のきっかけが
四畳半のアパートから見上げた信じがたいほどの青空でした

すぐには葬儀に駆けつけるわけにはいきませんが
私の代わりに在京の故郷の親友三人が行ってくれます

落ち着いたら墓参りをかねて 彼らと一緒に偲ぶ会を開く予定です

先日弟に話しましたが もう一度 呼びかけたいです
「今度生まれるときも 同じ腹から生まれような」と
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by zuoteng_jin | 2018-10-10 18:11 | DP2S | Comments(2)
Commented by yumeo at 2018-10-10 19:21 x
弟様のご冥福をお祈りいたします。私にも弟がいるので、今回の投稿を読んで目頭が熱くなりました。Z先生兄弟だけの思い出は永遠に存在し続けますね。
Commented by zuoteng_jin at 2018-10-10 19:37
yumeoさん

コメントありがとうございます。この間会って別れを告げてきたので、今はそれほど深い悲しみはありませんが、時間とともに心の中に空白が広がるだろうと思います。
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