寒気近づく季節の到来

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ドウダンツツジの葉が紅く色づいています

今日は久しぶりにリハビリ散歩に出ましたが
あたりはすっかり冬に向かう気配でした

桜の葉も負けじと紅いです
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今週中には寒気が南下し
山間部や峠道に雪が降るという予報が出ました

9月6日の地震以来 個人的にも色々なことが続き
あっという間の40日でした

原稿書きも遅れていますので
ここらで速やかに気持ちを切り替えねばなりません
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# by zuoteng_jin | 2018-10-15 17:13 | Contax T3 | Comments(0)

小鳩ラーメンの昭和的演出と中国人卒業生との会食

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弟の追悼をひとまず切り上げてもとにもどります

昭和30年創業の小鳩ラーメンではこの薬缶から
アルマイトのカップに水を注いでいただきます

向こうの棚には玩具が置いてありますが
ウチワの向こうに鉄人28号の玩具の箱があるのが見えますでしょうか
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店の中にはこういう昭和アイテムのコーナーがあります

テレビとダイヤル電話と紙芝居額が同じ部屋にあるのは
いかに昭和といっても現実にはありえない御愛嬌です

ところで今日は観光写真などを生業にしている卒業生に会いました

彼にはハービー山口さんにサインをしてもらった
『良い写真とは?』を渡す約束になっていたからです

この本には掲載された160点ほどの作品の撮り方が書いてあり
彼は素晴らしい教科書になると大喜びでした

最近 アマチュア写真の団体である北海道写真協会の会員になった由で
そういうところが積極的です

彼とは今年になってから時々行っている中華料理店で会いました(再掲)
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のぼりに「日本人が作る、本場の中国料理」とあるように店主は日本人です

しかしランチと言えど確かに本格的で中国人の彼は(正確にはモンゴル人ですが)
ご飯を三杯お替りするほどでした

これからも営業写真はもとより 仕事を離れた写真も
良い写真を撮ってほしいと思います
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# by zuoteng_jin | 2018-10-14 17:54 | Rollei35 Germany 1 | Comments(0)

1983年の故郷の裏山と炭砿病院

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小中学生のころ親友たちと遊んだ裏山です

この故郷を離れて18年後に来てみたので
見上げる弟も感慨深げでした

冬になると画面中央あたりの位置にジャンプ台を作って遊びました

この山の斜面が我々のホームゲレンデだったのです

上から滑り降りてきて 手前の川を飛び越えるなんてこともやりましたが
弟がジャンプに失敗して川に飛び込むこともありました

この写真を撮ったころからさらに15年ほど前には
画面右側の山体が頂上から山崩れを起こして
その川をふさぐという事故もありました

炭鉱住宅一棟が滑り落ちる土砂にじわじわと埋まる様子を見ていました
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この写真の右端の一棟が土砂にのみこまれたのです

このパネルは2010年に
三笠市立博物館の特別展示で見かけたものです

裏山の右手画面外の八合目付近から撮ったものらしいです

パネルの右上の方に鉄筋アパート
左上の方に炭砿病院が確認できます

新栄町という名前が見えますが 俗に病院下とも言われたものです

1983年にはすでに廃院になった炭砿病院の正面入り口は
下の写真のように残っていました

北海道炭鉱汽船株式会社のマークが見えます
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子供のころは山で遊んでウルシかぶれになっては
この病院でチンク油という白い消炎剤を塗ってもらったものです

それと当時よく流行ったトラホーム(トラコーマ)の治療もここで
マブタをひっくり返してガラス棒に着けた抗生物質を塗ってもらいました

弟や親友たちとの思い出が次から次へとよみがえってきます
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# by zuoteng_jin | 2018-10-13 17:41 | Leitz Minolta CL | Comments(0)

1983年の炭住周辺と55年前の弟と親友たち

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炭住街区には1棟だけ鉄筋コンクリートの住宅がありました

この周辺は我々の遊び場でした
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鉄筋アパートの裏で撮ってもらった55年前の写真です

またのぞきのバカな格好をしているのが私で
下から二番目が小6の弟で ほかの三人が
昨日今日と弟の葬儀に参列してくれた中学生の親友です

本当の家族葬でしたから 親友三人の参列はありがたかったと
一段落した義妹から電話がありました

一番下にいる親友の家は鉄筋アパートの右階段右の1階
上から二番目の親友の家は右階段左の3階がそれです

どちらの家にも我が家のようにしょっちゅう泊めてもらったものです
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上は4年前に札幌の我が家に集まった親友たちです

一番左の友人は(昔の一番下)
鮮魚中心にスーパーのコンサルタント会社を経営して
その関連で中国の養殖の視察に来て 北京で会ったこともあります

左二番目は(昔の上から二番目)
大学には行っていないのですが
東証一部上場企業の社長会長を歴任しました

二部上場へのトライから一部上場に至るまでの牽引車だった由です

右端は(昔の一番上)東京で職人たった一人の寿司店を営んで
鈴木大地・沢木耕太郎・久石譲・ハービー山口といったお客さんに愛されています
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その鉄筋アパートの前から見えたのは 炭鉱が経営する病院の裏手でした

65年にもなろうとする交友にとって
上の光景は大切な心の風景と言って良いかもしれません
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# by zuoteng_jin | 2018-10-12 17:59 | Leitz Minolta CL | Comments(0)

1983年に弟と訪れた故郷の炭鉱住宅

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1950年ごろ我が家はもっと山奥の炭住長屋からここに引っ越しました

弟はここで生まれたはずです

それ以前の住宅は「幸せの黄色いハンカチ」に出てくるような長屋でした

私が高校3年 弟が高校1年の春まで
ほぼ15年間をここで暮らしたのです

八畳一間 六畳一間 四畳半一間 それに二畳ほどの台所がありました

祖母と両親と姉二人と我々兄弟の七人家族でした

1983年 私が35歳 弟が33歳の8月に
二人でここを訪問してみたのです

上の写真に見えるようにまだ鉱員の家族が住んでいました

中学校は廃校になっていましたが
建物はまだあり 思い出深い体育館もありました
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こんなネガが出てきたのは 今回の地震被害の復旧作業で
古い写真やネガを整理している過程で見つけたからです

期せずしていま通夜式の最中の弟も写っています

亡くなってみれば これがほぼ人生の折り返し点でした
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私は残念ながら葬儀には参列できませんが
ともにこの中学校で過ごした親友三人が出てくれています

明日はその親友たちの住居跡や一緒に遊んだあたりを投稿します
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# by zuoteng_jin | 2018-10-11 17:49 | Leitz Minolta CL | Comments(0)

弟が息を引き取りました

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昨年夏から闘病していた弟が亡くなりました

今朝7時20分 眠るように息を引き取ったということです

ボカしをかけた写真はちょうど二週間前
放送大学の仕事の翌日に見舞ったときのものです

緩和ケアで痛みが無かったので しばらく歓談が出来ました

学生時代 弟とは東京の狭い四畳半で暮らしました

ともに四年生の1971年11月初めのある日
四畳半の窓から見える秋空が東京には珍しいほどの青空でした

ふと 弟に「おい今いくら持ってる?」と聞いて二人分を合わせてみると
何とか北海道往復の列車代が出せるがものは ありました

そのまま二人でアパートを出て北海道行きの急行列車に乗ったのです

私たちは故郷の秋を堪能して 一週間後に私一人は東京に帰り
弟は北海道で就職を探すといって残りました

私が東京に戻って一週間後 横浜の叔母から大学に電話があって
父が交通事故で即死したという連絡を受けました

その時の北海道行は まるで生前の父に会いに行ったようなものでした

父の事故の時には弟が母のそばにいたのが心強かったです

その年の年末は弟と二人で交通事故の損害賠償手続きをしっかりやりました

50年近く前のしがない労働者の賠償金はたかが知れていますが
当時の北海道の相場をこえる金額が出ました

保険会社の札幌支店は
「学生の兄弟だけで完璧な書類を出してくれて感動した」
という理由で100万円を支店の裁量で上積みしてくれました

それをもとに母の生活の見通しを立て
私は大学院に進学し 弟はアルバイトをしながら新聞の求人広告で見た
ショーボンド建設という道路工事の会社に就職しました

最初は北海道の山の中で現場監督をやっていましたが
10年も経つと東北北海道を統括する支店長になり
そのエリヤに関する限り95%は自分の営業活動の成果だと豪語していました

1987年初めにショーボンドは東証二部に上場しましたが
その少しあと1989年の春に東京本社に呼ばれました

その時は私も関東圏の大学に変わって富山から転居しました

二人で前もって 多摩ニュータウンの近いところで暮らそうやと相談して
弟も仮契約までしたのでしたが 本社の幹部は東武線に多く住むので
その沿線でなくてはまかりならぬということで
近所に住まいするというのは実現しませんでした

1989年の末までにはショーボンド建設は東証一部上場を実現します

弟は一部上場にはヤクザが必要だということで呼ばれた由です

東証一部上場は弟が営業部長としてなした功績でした

その後まもなく 弟は常務取締役に着任します

北海道の炭鉱町に生まれて 決して一流とは言えない大学を出て
東証一部上場企業の取締役まで勤めた経歴は
堂々たる68年の人生だったと私も誇りに思います

その人生のきっかけが
四畳半のアパートから見上げた信じがたいほどの青空でした

すぐには葬儀に駆けつけるわけにはいきませんが
私の代わりに在京の故郷の親友三人が行ってくれます

落ち着いたら墓参りをかねて 彼らと一緒に偲ぶ会を開く予定です

先日弟に話しましたが もう一度 呼びかけたいです
「今度生まれるときも 同じ腹から生まれような」と
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# by zuoteng_jin | 2018-10-10 18:11 | DP2S | Comments(2)

万字炭山ゆかりの昭和風味のラーメン屋

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昨日のお昼に前から気になっていたラーメン屋に行きました

いかにも屋台のラーメン屋風ですが
実は店の内部にこういう設えをしていたのです
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向こう側のカウンター席の仕切りや壁が
トタンのなまこ板で覆われていますがこれも店内です

地下鉄新札幌駅を降りて駅ビルに入ってすぐの外観は
こんな具合です
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昭和30年に万字という炭砿町に開業した
肉体労働者御用達のラーメン屋であったそうです

炭坑夫の伜としては 一度ありがたく頂かねばと思っていました

使用したフィルムはILFORD XP2 400 ですが
普段はデジタル画像から色を抜いて投稿しています

今日はこの店の昭和の演出を生かすために
フィルムのベース色を抜かないで投稿しました
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# by zuoteng_jin | 2018-10-09 18:03 | Rollei35 Germany 1 | Comments(0)