2017年 05月 10日 ( 1 )

崖際のレンギョウと俳句対漢詩漢文

c0182775_17553340.jpg

レンギョウも札幌では盛りを過ぎました

自宅近くにはレンギョウがけっこうあって
当ブログにも掲載したことがあります

今朝の北海道新聞のコラム「新 北のうた暦」に
金箱戈止夫(かねばこかしお)作
「垣崩れ連翹咲くに任せたり」が紹介されていました

俳句は戦後すぐに桑原武夫の俳句を「第二芸術」とする論文がきっかけで
俳句の芸術性を巡って激しい論争が巻き起こりました

論争の中では問題提起した桑原の鑑賞力の無さを
批判するものもあったそうですが
俳句鑑賞力が無いということでは私も人後に落ちません

かなり説明されて やっと
ああそういうことだったのかと思うことがままあります

一つ言い訳をしますと いわゆる漢詩漢文の読解を仕事とする私は
俳句的な感性を持ち合わせない方が良いと考えています

誤解を恐れずに言うと
俳句では芭蕉の主張した「軽み」が尊重されますが
漢詩漢文の世界にあっては「軽み」とは対極の感性が尊重されます

たとえば我が平安時代には白楽天の詩が大変流行しました

「和漢朗詠集」という古典の漢詩作者は白楽天が断トツに多いのです

しかし私の見るところ「和漢朗詠集」所収の白詩は
どちらかというと軽いものがほとんどです

その点は漢民族の好きな白詩とは傾向が違います

ところで私がはじめて連翹の美しさに目覚めたのは
86年春に北京で過ごした時だったのです

黄砂が吹き付ける大地に咲くレンギョウは
目を見張るほど美しいものでした
c0182775_187386.jpg

使用機材→クリック
by zuoteng_jin | 2017-05-10 18:32 | Leica M7 | Comments(0)