榎本武揚像と既視感ポーズ

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江別の対雁(ついしかり)という場所にあります
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石狩川河口に近い対雁は北海道開拓の上で重要な場所でした

榎本は明治6年に政府からここに10万坪の土地払い下げを受け
榎本農場と名づけて開墾に力を注ぎます

郷土史家の評するところによれば
払い下げ後に土地転がしにあって
開墾の実をあげない払い下げ地が多いなかにあって
榎本農場は後々もしっかりと経営されたということです

しかしたとえば上司の松本十郎などの目から見ると
「榎本の土地漁り」という苦々しい払い受けでもありました

さらにその2年後 樺太アイヌの移住問題が起こります

榎本がロシアと交渉して千島樺太交換条約を結んだことに伴い
樺太アイヌを宗谷に移住させましたが
さらに対雁に再移住させる計画がもちあがりました

榎本の計画では空知の炭鉱夫としてアイヌを働かせるために
この対雁に住まわせるというのです

これを支持した開拓使長官・黒田清隆と
アイヌたちから移住したくないという嘆願書を受けた大判官・松本十郎との間で
大激論が起こり ついに十郎は辞表を提出するに至りました

その後 この対雁に強制移住させられた樺太アイヌ約800人は
もともと漁民であったのに 内陸で慣れない農耕に従事していて
環境の変化に対応できずに病死が相次いだと言います

さらには明治19年の天然痘やコレラの大流行の際には
密住状態のアイヌ集落では約300人が亡くなったのです

榎本武揚の生涯については色んな裏表を感じますが
この佐藤忠良(女優佐藤オリヱの父)作の銅像には既視感がありました

古い写真を探してみるとフランシスコ・ザビエル像でした
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2010年に大分で撮ったもので 同じ佐藤忠良作です

どちらも海のものとも山のものともつかない新天地に挑む気概が
前方に伸ばした腕に込められています
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Minolta CLE

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Retina IIIc

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by zuoteng_jin | 2017-07-19 18:23 | Minolta CLE | Comments(0)
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