厚田川の岸辺道と正眼寺

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厚田の南側を流れる厚田川北岸の岸辺道です
川は昨日のブログに写っています
(この画面では右端が川)

明治2年の冬 北海道開拓使の判官(今の局長級)松本十郎は
北海道西岸巡察の途次 峠を越えてから凍結した厚田川を渡り
この岸辺道に上がったところで まったく偶然に
巡察を見物に来た斎藤鉄太郎(子母沢寛の祖父)を見つけます

松本十郎かつての庄内藩士戸田惣十郎と
江戸御家人梅谷十次郎(斎藤鉄太郎)は
十代後半のころ江戸の講武所(官立道場)で
常に一位二位を争う稽古仲間でした

のち二人はともに薩長政府から見れば朝敵になりましたが
松本は北海道開拓使次官黒田清隆に目をかけられ判官に取り立てられます

一方斎藤は 彰義隊敗戦→函館戦争敗戦→士籍奉還→札幌開拓放棄
そういう負の経歴をたどった挙句 厚田のアイヌに混じって
ひっそり暮らそうとしていました

その二人がこの道上で16~17年振りに再会したわけです

このとき松本判官は二日ほど厚田に滞在しますが
その宿舎は天保2年(1832年)に建てられた正眼寺です

昨日の最初のコマは正眼寺の前から撮ったものです

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二人はここの庫裏で夜を徹して お互いの来し方と
先住のアイヌと如何に共存するべきかを語りあったのです

正眼寺の本堂はこんな感じです

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屋根と壁はいかにも北海道の建築ですが
玄関の屋根や柱や鴨居
またその荘厳(しょうごん)彫刻はかなり古いものです

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これが古いというのは 鐘楼の柱は建て替えられたものですが
彫刻はもとのものを使っていることから分かります
(梵鐘の銘文は残念ながら暗くて見えませんでした)

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松本と斎藤はその時ともにこの彫刻を目にし
この梵鐘の音を耳にしたに違いありません

司馬遼太郎は「街道をゆく」シリーズで厚田にも来ていますが
この大事なお寺については 訪問はおろか言及もありません

私は子母沢寛の「厚田日記」を読んで訪問したいと思いました
この短編小説は朝敵であった松本や斎藤らと
先住アイヌたちとの心を通わせる交誼を描いた佳品です

松本十郎については Facebook フレンドのM.O.さん(山形在住)から
莊内日報の記事を紹介して頂いて詳しく知ることができました

「南へ向いた丘」「厚田日記」はともに
子母沢寛『脇役』(文春文庫)に収録されています
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Minolta XD 50周年記念モデル

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by zuoteng_jin | 2016-06-06 17:19 | Minolta XD | Comments(0)
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